2006年06月27日 Tue

優のこと【フィクション】

優との出会いも、こんな梅雨の季節だった。


3年前、高校を卒業して地元で浪人生活をしていた僕の元に、役場に勤める親戚からアルバイトをしてくれないかという依頼が来た。予備校にも通っていなかった僕は、1ヶ月限定の町役場でのその仕事を引き受けることにした。


はじめての勤務の日、役場の待合室で仕事内容の説明を受けるために待たされていると、そこにもう一人のアルバイトの女性が入ってきた。「はじめまして」と挨拶して、簡単に自己紹介したり世間話をしたりしていたのだけれど、女の人と話すのに慣れていない僕は、役場の職員が部屋にくるまでのあいだ緊張しっぱなしだった。


しかし優と親しくしゃべれるようになるのに、それほど時間はかからなかった。それからは週に5日程度、役場での仕事がはじまった。まずは役場にある倉庫の備品チェックと、投票に必要な道具の準備。僕と優は梅雨のじめじめした空気のなか、冷房もない倉庫で汗だくになりながら投票箱や南京錠の個数を数えたりした。ときどき職員が様子を見にくるのだけれど、基本的にはずっと僕と優ふたりきり。自然、たくさんの会話が生まれる。

「大学生なんですか?」
「いえ、いま浪人中なんですよ。優さんは社会人ですよね?」
「うん、小学校で非常勤の先生やってるの」

彼女は一見高校生のように見えたけれど、当時の僕より7つも年上の25歳、夏のあいだだけ役場でのアルバイトをしているということだった。短大の英文科を出てから職場をいくつか変わっているらしく、その頃は公務員試験を受けるためにアルバイトをしながら勉強中だった。


投票のための準備が終わり、会場ができあがると不在者投票の受付が開始されるのだけれど、僕の地元は人口も少ない小さな町だったのではじめの2日間は投票に訪れる人が一人もおらず、3日目4日目になっても投票者は一桁しか来なかった。僕と優はふたりで受付に座ってただ待っているのだけれど、仕事がないから話ばかりしていた。


高校生卒業まで女の子と話すことさえほとんどなかった僕には、彼女とのなんでもない会話が楽しくて仕方なかった。優は中学生のころニュージーランドに留学していて、そこの景色が広大で感動した話、以前JALで働いていたころ、バスで出勤中にピンボールみたいな大きさの雹が降ってきて驚いた話、あるいは自動車教習の話や宇宙人がいるかいないかなど、一日中時間を持て余していた僕たちはとめどないおしゃべりに夢中になっていた。投票の受付場所はやはり冷房もないような蒸し暑いところだったけれど、きょうも優に会えるのだと思うと、仕事の日は朝から胸が高鳴ったものだった。


仕事がはじまって2週間ほど経つと、僕と優はすっかり打ち解けて、僕は彼女を名字ではなく優さんと呼ぶようになり、彼女も僕を下の名前で呼ぶようになった。ある日、いつものように額に汗を光らせながら投票所に現れ、笑顔で「おはよう」という優をみて、僕は彼女のことを好きになっている自分に気づいた。


外はかんかん照りの真夏日だったその日、蝉の鳴き声をバックにぽつぽつと投票所に現れる人の受付をしながら、僕たちは飽きることもなくおしゃべりに興じていた。そのとき、優が、公務員試験で出題される数学が難しくてわからないといっていたので、僕はふざけ半分で家庭教師をしてあげましょうかと言ってみた。いや、家庭教師なんてのは口実で、僕はプライベートでも優と親しくなりたかっただけなのだけれど。すると、予想に反し、優は喜んでくれて、次の日曜日に彼女の家にいけることになった。思えばこの頃から、優も僕に好意を持っていてくれたのかもしれない。


約束の日曜日、うだるような熱さの中、僕は教えられた優の家まで自転車をこいでいった。2つ上の姉は東京で一人暮らしをしているとのことで、優は両親と3人で暮らしていた。よく手入れされた小さな庭を抜け、「こんにちは」といって玄関を開けると、いつもよりラフなTシャツ姿の優が階段を降りてきて出迎えてくれて、部屋に招かれた。数学を教える、というのが目的だったはずなのに、結局僕たちは雑談してばかりでちっとも勉強は進まなかった。けれど、その日以来、僕たちの仲は急接近していった。

「ねぇ、明日プールにいかない?」

僕が彼女の部屋にいって3度目のときだったろうか、カルピスを飲み終えた優がそう言った。僕はもう、自分が浪人生であることなんて忘れていて、喜んで「いく」と答えた。コップのなかの氷が溶けて、カランと音をたてた。


次の日、ふたりして自転車で地元のプールにいった。町営だったそのプールは50メートルのプールが一つあるだけの味気ないもので、僕たちの他に客は10人もいないくらいだった。着替えを終え、女子更衣室から太陽の照りつけるプールサイドに姿をあらわした水着姿の優は、いつにも増してきれいだった。役場でのバイトと試験勉強ばかりで室内にこもりきりだった僕と優は、50メートルのプールで思い切り泳いで、思い切り日焼けした。


その日の営業が終わるまで泳いで疲れきった僕たちは、自転車を押して歩きながらプールをあとにした。やや日も暮れて少し涼しくなり、頬をなでる風が心地いい。しばらくして、優の家の前まできた。

「きょうは楽しかったね」

と僕がいうと、彼女も笑顔でこたえる。

「だいぶ焼けたね。わたしたち、受験生なのに」
「また遊びに行こうよ」
「うん」

近くに田んぼでもあるのだろうか、カエルの鳴き声が聞こえてくる。カエルの鳴き声だけが。優が「うん」と言ってから、僕たちの時間は止まってしまった。このまま優と別れてしまうのが寂しくて、さよならの一言が出てこなかった。優は、ふしぎそうな顔をして僕を見つめている。僕は抑えきれない感情にうながされるまま、彼女の唇に自分の唇を重ねた。永遠とさえ思えるようなキスのあと、僕は「またね」と言って家に帰った。自転車で通り過ぎるその日の夕暮れの街は、いつもとは少し違って見えた。


7月も半ばにさしかかった頃、役場でのアルバイトも終わって、優と仕事の上で会うことはなくなった。しかし週に1度は必ず僕が彼女の家にいって勉強を教え合うか、ふたりでどこかに出かけるようになり、交際は順調に続いていった。優は秋の公務員試験に晴れて合格し、ふたりがバイトをしていた役場で正式に働けることになった。


優との交際はうまくいっていたのだけれど、僕は自分の勉強がおろそかになっていることに危機感を抱き始めていた。女の子とつきあうなんてはじめての経験で、僕には優のことしか見えなくなっていた。自室で英語の長文を読みながらも、頭は優のことでいっぱいで、英語なんて頭に入ってこない。彼女の部屋で英語を教えてもらったとき、優が僕の参考書にすみにいたずらで書き込んだ変なクマの絵ばかり目に入ってきた。


冬、センター試験まであと1ヶ月となったとき、僕はとうとう優にきりだした。

「受験までもう少しだから、ぜんぶ終わるまで、しばらく勉強に集中したいんだ」
「うん、その方がいいよ。がんばってね、応援してるから」

彼女の笑顔を見るのは、その日がさいごになった。


センター試験を皮切りに、受験の季節がはじまった。あの日以来、優と直接会うのはやめて勉強に集中したのだけれど、どう考えても遅かった。夏から秋にかけての遅れは取り戻せるはずもなく、どこの大学の試験でも苦戦を強いられた。センターでは失敗し国立大学を断念。私立に望みをかけ、東京の大学を5つ受験したがどれも自信があるとは言えない出来だった。受ける大学受ける大学、次々に不合格となり、いよいよ3月中旬、さいごの合格発表の日、掲示板の数字の羅列のなかに、僕の受験番号はなかった。


夜、優に結果報告の電話をする約束になっていたのに、発信のボタンが押せなかった。ケータイを放り投げて、ベッドで仰向けになった。

(おれはこの半年、何をやってきたんだろう? 優に夢中になってばかりで、勉強が手に着かなかった。優になんて言えばいい?)

からっぽの心で天井を見つめていると、耳元のケータイに着信があった。画面を開いてみると、そこには優の名前。心の準備ができないまま電話に出た。

「もしもし、きょうの結果どうだったの?」
「だめだった」
「そうか。残念だったね」

彼女の悲しそうな声が胸に突き刺さる。

「ごめん、こっちから電話するって言ったのに」
「ううん、いいよそんなこと」

どうして優はこんなにやさしいんだろう? 僕は優に夢中になっててどこにも合格できなかったようなだめな男なのに。僕なんかが優といっしょにいていいんだろうか? 僕は優にふさわしくない人間なんじゃないか? そんな疑問がふつふつと湧いてきた。

「ねぇ、優」
「なに?」
「おれたち、もう終わりにしようか?」
「えっ」
「このままじゃおれ、どんどんだめになっていく気がする。優のことはすごく好きで、ずっといっしょにいたいって思ってる。でも‥‥‥」
「わかった。もういい」


これが、優とのさいごの会話になった。あまりにもあっけなくて、あまりにも悲しい別れ方。明け方になり、空が白んでくるまで、涙が止まらなかった。


4月、僕は実家を出て予備校の寮に入ることにした。優との思い出が詰まった地元にいるのは、正直苦痛だった。田舎を絵に描いたような故郷を離れ、都会で新しいスタートを切った僕。寮の仲間と生活をともにし、僕は生まれ変わったかのように勉強に打ち込んだ。まるで優のことを忘れようとするかのように。


あっという間に一年が過ぎ、ふたたび受験の季節。今度は東京の大学は一切受験せず、関西に行くことを決めていた。これも、なるべく優から離れたかったからだ。遠く離れた土地にいき、人生をリセットしてやり直したかった。受験の結果、一年の努力が報われ、京都の私立大学に合格。関東の地元から400キロ以上離れたこの地で新しい生活がはじまった。


京都に来てから1年と3ヶ月、大学での勉強も充実しているし、友人もたくさんできた。望み通り、新しい人生を歩みだしたのだ。けれど、ときどき、優のことを思い出してしまう。考えてみると、僕が優に「好き」といったのは、あのさいごの電話のときだけだった。さいごのさいご、別れ際に言っただけだった。


もっともっと、僕の気持ちを伝えておけばよかった。
もっともっと、口に出して、愛してるって伝えればよかった。



FINE














この雑記は妄想であり、実在の人物、団体とはほとんど関係ありません。
posted by グレエ at 02:05 | Comment(6) | TrackBack(0) | edit


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この記事へのコメント
えええぇぇっΣΣ(゚Д゚;)妄想なんですか!?
いや、もう神レヴェルの妄想ですよコレ!!
クソっ・・。ほろりときてたのに・・人間不信に陥りそうです・・。
Posted by 宗介 at 2006年06月27日 02:33
 いま知り合いの精神科医に相談してきたのですが、ここまで妄想が進むと手の施しようが無いそうです。
 文章はお上手でした。非常に。
Posted by kevin at 2006年06月27日 19:21
うますぎるぜ兄貴。
さすが文学部ですな。
Posted by garyuok at 2006年06月27日 21:52
>宗介さん
正確には、「仕事の日は朝から胸が高鳴ったものだった」までは事実です。そっから先はノン・ストップ・ザ・モウソウ。

>kevinさん
僕も、自分で書きながら「これはもう末期かもな」と悟りました。

>garyuokさん
テヘヘ‥‥‥そうかなぁ?


さーてと、この記事、ミクシィ日記に載せようか載せまいかどうしよう‥‥‥。
Posted by グレエ at 2006年06月28日 00:34
最強
Posted by 光 at 2006年07月05日 23:53
彼女欲しい
Posted by グレエ at 2006年07月06日 01:00
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