2006年08月14日 Mon

エロ本の山【昔の話】

2浪目に入居していた予備校の寮、そこはありえないほどネタに満ちた異空間でした。


北海道から沖縄まで、文字通り全国から浪人生が集まってきて、一ひとつ屋根の下で受験生活をともにしたのですが、その寮の生徒は一癖も二癖もある連中ばかり。毎日がカルチャーショックの連続でした。


その寮というのは僕の出身県である埼玉にありました。駿台や代ゼミのような大手ではなく、認知度の極めて低い弱小予備校。2浪目を迎えようとしていた僕がその予備校のパンフレットを見たとき、無料特訓寮という文字が目に飛び込んできました。


当時、実家で生活することが嫌になってきていた僕は、すぐさまその寮に入れるよう申込書を書き、ダッシュで予備校に送付しました。大手予備校の寮だと月々数万から数十万という大金が必要で、とてもじゃないが僕の家庭の経済状況では入れてもらえない。けれど、この寮なら食費と電気代など、最低限の料金だけで入れてもらえる。まるで夢のような寮の存在を知って、2浪したというのに鼻歌を歌いださんばかりの勢いで喜んでいました。


業界初と言われる無料特訓寮。一応知ってはいたのですが、なんか、部屋が部屋じゃないの。もはや部屋とは呼べない。広さはわずか2畳半。ベッドと机で完全に埋まる。出入り口もドアではなくてビニールのカーテンで、空調の関係で天井付近はすべての部屋が繋がっています。分かりやすく言うと、広いワンフロアを壁で仕切っただけ。そんな蜂の巣みたいな寮で集団生活がはじまりました。


寮のメンバーは思い出すだけで吹き出すような濃い面々ばかりだったのですが、その中でもひと際異彩を放つ松島くんという男がいました。


彼は一見するとクールなイケメンで、ちょっとエミネムに似ているインターナショナルな顔をしていたのですが、中身はユーモアとエロの塊。彼のギャグセンスとエロスは文字通り筆舌に尽くしがたいもので、到底ここで僕が彼のすごさを伝えることなど不可能なほどでした。予備校の先生や寮の仲間のモノマネ、あるいはウィットに富んだ冗談で毎日みんなを笑わせる松島くん。当然、下ネタも容赦ない。

「あれ、どこいったんだろ」

ある日、僕は共同の冷蔵庫に入れておいたサラダのドレッシングがないことに気づきました。そこに松島くんがあらわれた。

「どうしたの、グレエくん?」
「ドレッシングがなくてさ」
「どういうやつ?」
「白いやつ」
「じゃあ、おれが代わりに白い液体出してあげるよ」

それだけは勘弁して欲しい。


で、彼は真性のエロでしたから、部屋の中がエロ本ですごいことになっているのですよ。寮はテレビもパソコンも禁止でしたから、エロツールとしてはもう本しかないわけなんですが、彼の部屋はエロ本でいっぱいだった。


何度か部屋を覗いてみたことがあるのですが、部屋の隅に箱が置いてあって、そこに整然とエロ本が並べられているのですよ。変に几帳面な所があるのか、きっちりと箱の中にエロ本が整列している。ここはエロ本専門の図書館ですか? というくらいに品揃え豊富なエロ本が陳列されているの。そして壁にはヌードのポスター。明らかに浪人生が勉強に集中できる部屋ではない。


松島くんは冗談もおもしろいですし、いつもみんなの中心にいてひたすら周囲を笑わせる、というキャラクターだったのですが、彼とは対照的にほとんど他人としゃべらない植村という人物がいました。


さきほどは書かなかったのですが、寮の部屋は建物の2階と4階にありまして、僕や松島くんがいた蜂の巣みたいな無料の寮は2階だけ、4階にはそれとは別に有料の部屋がありました。そちらは10畳もある立派な部屋。しかし2階の住人が自然と仲よくなるのに比べ、4階の住人はやや孤立しがちな傾向がありました。植村くんはその典型で、僕などは1年おなじ建物にいてしゃべったのが2、3回。彼の生態系は謎に包まれていました。


植村くんはやや小太りで、頭髪は激しい天然パーマ、朝見ると爆発した志村けんですか? と尋ねたくなるような外見でした。こう言っては悪いですけど、見た目は秋葉系。


そんな彼と、夕食時に交わしたわずかな会話がこんなものだった。

「植村くんて、何か趣味あるの?」
「まあ、アニメを観るくらいかな」
「どんなアニメ?」

そう尋ねた瞬間ですよ。聞いたこともないようなアニメの名前が出てくる出てくる。これがあの寡黙な植村くんか? と疑いたくなるほどの勢いでしゃべり出して、あのアニメの主題歌がいいとか、あの声優はすばらしいだとか、さながら火砕流のごとくしゃべりまくる。走り出した彼を止めることなんて、もう誰にもできやしない、ってな勢いでしゃべりまくる。


なんか押しちゃいけないボタンを押しちゃった気分で呆然とする僕。彼は夢中でしゃべり続けるのだけれど、僕がわかったのはエヴァンゲリオンという単語だけでした。植村くん、見た目だけでなく、中身も真性の秋葉系だった。


ある日、そんな植村くんも住んでいる4階に、他の友人に用があって登って行ったのですよ。友人の部屋にいく途中に植村くんの部屋があったのですが、タイミングよく彼がその部屋から出てきました。僕は無難におはようと挨拶して通り過ぎようとしたのですが、その時すごいものを見てしまった。


彼が出てきてドアが開いていたため部屋の中が見えたのですが、おびただしい数のエロ本が部屋中に散乱してたの。部屋の散らかり方も半端じゃないのですが、圧巻なのがそのエロ本の数。下手したら3桁の大台に乗っているんじゃないかっていうくらいあった。


上述の松島くんの部屋のエロ本にも驚きましたが、もうその比ではない。松島くんの部屋のエロ本を美しい峰を描く富士山だとするなら、植村くんの部屋のエロ本は登山家を容赦なく阻むエベレスト。下手に足を踏み入れたらクレバスに落ちるようにエロ本に飲み込まれて遭難しちゃうんじゃないかっていうレベルだった。僕は廊下から彼のありえない部屋を見てしまい、唖然として声さえ出ませんでした。


1年間の寮生活を終え、植村くんがどの大学に進学したのか僕は知りません。しかし日本のどこかで、彼もまた大学生活を謳歌しているのではないかと思います。おびただしい数のアニメとエロ本に囲まれながら。
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モテるタイプ【昔の話】

もう今日こそは言わせてもらう。何がなんでも言わせてもらう。たとえ憲兵に逮捕されて銃殺刑に処せられようとも、ジャンボ飛行機が部屋に突っ込んでこようとも言わせてもらいますよ。

「クールな男がモテるなんて嘘だ!」


ちょっと思い出してみてください、ドラマやアニメで女の子にモテる男のことを。すると、たいていクールで二枚目な男が思い浮かぶと思います。頭がよくて、でもなにげにスポーツもできちゃったりして、そっけないふりして実はやさしい。そんな男が典型的なモテる男として描かれることが多いと思うんですよ。


実生活においてもそういう傾向はあって、女の子たちも「うるさい男は嫌」とか「やさしい人がいい」とか口々に言うわけです。それで、まるで少女漫画に出てくるようなクールな男像をうっとりと語ったりする。うむ、反吐が出るわ。


いったい彼女らが何を考えてそんなことを言うのか、まったく理解しかねる。だって、実際女性がつきあうのって、そんな理想像とは遥か対局にある男ばかりなのですよ。180度違う男ばかりなのですよ。下手したらいちばんモテないタイプとしてドラマやアニメで描かれるような男ばかりなのですよ。くそっ!



僕がまだ地元にいた頃、近所にあるきれいなお姉さんが住んでいました。お姉さんが19歳くらいで、僕が高校生くらいだったと思います。彼女は中学時代から同学年の男子の憧れの的だったようで、その評判は3つほども年下の僕の耳にまで入ってくるほどでした。実際、何度かそのお姉さんをみたとき、サラサラの黒髪が美しい、実に清楚な女性だという印象を受けました。


うん、彼女の魅力なら、男どもがこぞって夢中になるのも頷ける。きっと将来は頭がよくてやさしくて、それこそ王子様のような男と結婚して、ドラマみたいな幸せいっぱいの家庭を築くのだろうな、と思っていましたところ、お姉さん、20歳前後で結婚。この晩婚の時代に、高校出てすぐ結婚。おいおいお姉さん、何をそんなに生き急いでいるんだい、と思うのだけれども、容赦なく結婚。


友人から聞いた噂によると、どうやら彼女の結婚相手というのは地元でも有名なほどの不良だということでした。いやいや、どう考えてもおかしい。釣り合ってない。というか同じ秤で測定することさえ神に唾する行為ではないかというほどに理解不能。


地元でも有名な美人、一昔前ならナントカ小町とか言われそうなべっぴんさんが、シャコ短の車で音楽をズンドコ鳴らして夜中にドライブしてそうな不良と結婚。お互いに彼女のいなかった僕と友人は、夕暮れの道ばたで語り合いました。

「なんで不良がモテるんだろうな」と僕。
「うん、ほんと、何がいいのか分かんないよ」
「世の中狂ってる」

疑問と嫉妬の気持ちが入り交じり、切なさがこみ上げてきます。そうして、次に友人が言い放った一言。

「おれさ、こういうことが起こると、生きてるのが空しくなるんだよな」

ああ! 僕は、この悲しみの結晶のようなつぶやきを、生涯、忘れることはない。


まあ何が言いたいのかってゆうと、要するに現実にモテる男ってのは、しばしば語られる理想的な男性像とは似ても似つかないじゃないかってことです。他にも僕が高校生の頃に女の子にモテていた男というのは、不良であったり暴力的な男ばかりだったのですよ。


現実に目を向けてみると、世間で一般的に語られているような、クールな男はモテるという論は明白に誤っており、口数の多いうるさいキャラやワルぶっている男がモテているということが分かります。


別に、それが悪いというわけではありません。人の好みは様々ですから。しかし一般論と現実がひどく乖離しているという驚くべき事実、それを皆さんに分かって欲しかったという、それだけのことなのです。


ああ、それにしても、なんでだろう? 事実を書いているだけなのに、なんだか胸が痛くなって、涙がこぼれてきちゃった。そして、高校生の頃、あの夕暮れの道ばた、友人がつぶやいた一言が不意に蘇ってきてしまった‥‥‥。


「おれさ、こういうことが起こると、生きてるのが空しくなるんだよな」
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ワオー【昔の話】

大学受験。その過酷な戦争で生き残るため、僕はある予備校に1年間通っていました。ここに名前を書いたとしても、おそらく誰もわからないような小さな予備校だったのですが、そこには駿台や代ゼミに負けないくらい濃い先生方がいました。


その筆頭が数学の稲垣先生でした。彼はその予備校の数学講師の代表格で、数学の教材はほとんどその人がつくっていたし、数学のいちばんハイレベルなクラスを担当していたという重要人物なんですが、その言動や行動がありえなかった。うん、誇張でなしに、あれはありえない。


まずね、第一印象が精神障害者なんですよね。どうみても精神障害者。こういう言い方はどうかと思うのだけれど、でも明らかにそうなんですよ。絶対ふつうじゃない、というのはもう見た瞬間にわかるの。目線の動かし方から歩き方まで、どう見ても普通ではない。はじめて数学の授業に出て稲垣先生を見たときはもうそのまま帰ろうかと思ったもの。


ただ、実際に授業をはじめると、やはりそこはプロなんですよね。解説はすごく分かりやすいし、惚れ惚れするような解き方をしてみせてくれる。途中、ややこしい計算があったりしてもほとんど間違えないし、ごくまれにミスすることがあってもすぐに気づく。


先生は、どうやら回答の手順や数字までほぼ暗記していたらしいのですよ。だから違う数字が出てきちゃうと「あれ?」と思うらしい。

「ワオー! 今のはきみたちが気づくかどうか試したんだよぅ!」

甲高い声でそう言ってすぐに訂正する。その記憶力はもはや常人を越えていて、やっぱり脳みそがちょっと変なんじゃないかと思いました。


さて、さきほどの先生の発言に「ワオー!」という奇声が含まれていたのに気づいたと思いますが、これは先生の口癖でした。計算ミスすると
「ワオー!」、黒板に描いた円が歪むと「ワオー!」、何の脈絡もなく「ワオー!」、そんだけワオーがあれば星一つくらいなら壊せるんじゃないかってくらいにワオーの連発。マシンガン・ワオーかってくらいワオーの連発。こちらとしては予備校にいるんだか精神病院にいるんだかわかりゃしない。ある友人の調べによると、一回の授業で使用されたワオーは80回を超えたそうです。


他にも、稲垣先生にはいくつもの名言がありました。


生徒がかんたんな公式を忘れていたりなど、凡ミスをしたときに必ず言う一言。
「破門だよぅ!」

意外と知られていない効率のいい問題の解き方を教えるとき。
「これは秘伝だよぅ。幻の解法だよぅ、ふへへへ」

生徒が先生をからかうようなことを言ったとき。
「お前ら、ちょっと、表へ出ろ!」(ドナルドみたいな感じで)

手をホワイトボードの角にぶつけたとき。
「うえーん、痛いよぅ。お母さーん!」


これがいい年したおっさんの発言ですからね。正気の沙汰とは思えない。予備校にいるはずなのに精神病院にいるような気がしたわ。


そんな稲垣先生が、夏に「セミプロ複素数」という講義を担当したんですよ。短期間で集中的に特定の分野をやるというものだったんですけど、そのはじめの講義で信じられないものを見た。


「ワオー! この講義はセミプロだからね、セミプロ。みーんみーんのセミプロだからね!」

とかいいながら、ホワイトボードに黒のペンをすらすらと走らせるのですよ。するとあらふしぎ、みるみるうちにリアルなセミが描かれてゆくではないですか。

「ここの部分が長いのがオスなんだよー! ワオー!」

いやいや、あなたなんでそんなに昆虫に詳しいんですか? というか、絵がうますぎるんじゃないですか? と思ってると、あっという間に完成したセミの横にもう一匹セミを描き始めました。

「これはお腹の方からみたセミだよー! ワオー!」

いやいや、何も見ずにセミを裏側から描けるって、セミの裏側を描けるって、どんだけ天才ですかって話です。


なんかもう、植木でオブジェをつくるシザーハンズみたいな動きでペンを走らせて、あっという間に2匹のセミが完成しました。こっちが「ワオー!」って言いそうになったわ。セミプロと昆虫のセミは関係ないだとか、そんなツッコミもする気なくなったからな。


病的な数学マニアで、なおかつ絵がそれこそセミプロ並みにうまいっていうだけでワオーとか言っちゃいそうなんだけど、その後、2匹のセミを背にして、なんか知らんが先生が昔の夏の思い出を語り始めたんですよね。

「小学生のころ女の子にセミの抜け殻見せたらすごく気に入ってくれてね。だからもっと喜ばせてあげようと思って、次の日バケツ一杯セミの抜け殻集めてその子に渡したら泣いちゃってさぁ。困ったよぉ」

いや、そりゃ泣くよ。むしろ悪質な嫌がらせじゃねぇか。



見た目は精神障害者、しかし中身は優れた数学教師であり、絵がうまいなんて一面もある。そんなすばらしい先生だったのだけれど、どうやら中身も多少狂っていたようです。いまでも夏になってセミの鳴き声を聞くと、先生のあの奇声が心の中で響いてくるかのようです。ワオー、ワオー、と。



ちなみに、稲垣先生にはネットの趣味もあって、よく自分の名前や口癖で検索をしていたようでした。ときどき、巨大掲示板に書き込まれた自分の噂をネタにしたりしてました。うむ、この日記も、もしかしたら先生に発見されるかもしれない。
posted by グレエ at 21:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | edit


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数学の神秘 【昔の話】

僕は数学が大好きだった。


数学、それは一分の隙もない、完璧な論理の世界。そこには感情や情緒なんて介入する余地はなくて、論理の連鎖だけがすべて。現実世界や他の文系科目、あるいは自然科学とも一線を画するこの特殊な学問には一種の美しささえ感じます。現在でこそ文学部に在籍し、数学とは無縁の生活を送っていますが、小学校から高校、浪人時代にいたるまで、僕はこの数学という科目に夢中でした。


いったいどれだけの数学の問題を解いたのかは分かりませんが、その中でも特に思い出深い問題が一つあるのです。それは中学時代に塾の先生から出された、一見簡単そうな面積の問題でした。


中学時代、高校受験を控えていた僕は地元にある小さな個人経営の塾に通っていました。塾といってもふつうの学習塾のように授業があるわけではなく、ただ先生がいる教室で自習をするだけ。分からないところがあったら先生に聞くという、まあ先生付きの自習室のような塾でした。


そこを一人できりもりしていたのが森先生という人で、この人がかなりの変わり者。自衛官、警官、サラリーマン、トラック運転手などという異例の経歴を持つ人だったのですが、やはり生徒に課する問題も一癖あるものばかりでした。その中の一つがさきほど言った面積の問題。下の図の黄色の部分の面積を求めよという問題です。

三日月の図.png


一辺がaの正方形に円が内接し、さらに正方形の一つの角を中心とした半径aの円があり、その大小2つの円によって囲まれている部分を面積を求めよ、というものです。これを僕たち中学生にチャレンジ問題として出題したのです。この問題は求める部分が三日月のような形をしているところから「三日月の問題」と言われ、塾のなかで注目を集めました。その筆頭だったので数学好きの僕でして、常にこの図形を描いた紙切れを持ち歩き、学校や家で眺めては連日取り組んでいました。


ぱっと見た感じは、簡単な図形の組み合わせですし、すぐに答えが出そうなものなのですが、これがなかなか分からない。どんなにがんばってもわからない。出題から一週間あまり経った頃でしょうか、塾の生徒もみな諦め、僕もとうとうギブアップ。先生に答えを聞きに行きました。すると森先生、うっすらと笑みを浮かべ、こう言い放った。

「ごめんごめん。この問題、答えがないんだよ。どんなにがんばっても無理」

いや、ガーンときましたね。ショックでしたね。死ぬほど考えた問題に、まさか答えがないなんて‥‥‥。


でも僕は、よくも答えが出ない問題を出しやがったな、という気持ちはなくて、むしろいい意味でガーンときました。いい意味でショックでした。単純そうに見える問題なのに答えが出ないという部分に感動を覚えたのですよ。学校で出される問題には必ず答えがあって、解き方もある程度決まっている。なのに、この世には答えの出ない数学の問題がある。この三日月の問題によって、僕はさらに数学の奥深さ、おもしろさを知ったのでした。


高校受験も終了し、僕はその塾を卒業して高校でさらに数学の勉強をしました。中学ではやらなかった高度なことも学んでゆきます。三角関数や微分積分、ベクトルや二次以上の方程式。そうやって新しい知識を習得した上で、ときどきあの問題を思い出して解こうとしてみるのですが、とうとう現在に至るまで答えは分かっていません。まあ、それは当然で、おそらく数学的に「答えが出ない」ということが証明されているのでしょう。


そうして大学受験を終え、文学部に入学した僕。しかしときおりあの問題のことを思い出して、誰かと当時の感動を分かち合って欲しいと思うのです。答えがあって当然という思考をぶち壊して、数学の神秘に触れてもらいたい。そんな思いがふつふつと湧いてきて、先日、サークルの先輩たちに、この問題を出題してみたのです。手近にあった紙に図を描き、こう言いました。

「この問題が解けたら、お昼おごりますよ」

もちろん、答えがでない問題だということは伏せます。答えが出るはずだと思って考えて考えて考えてから秘密を明かされた方が感動が大きいと思ったからです。あの日の僕のように。


図形を眺めながら試行錯誤する先輩たち数人。なかには工学部の先輩もいました。あるいは文系なのに数学好きという女の先輩もいました。

「わたし文系を選んじゃったけど、本当は理系にした方がよかったかもっていうくらい数学好きなんだ」

なんて言いながら紙を図や数式で埋めてゆく先輩。がんばれがんばれ、悩め悩め、その先にはさらなる数学の魅力が隠されているのだから。


文系の僕から突如出題された謎の面積問題。先輩らが四苦八苦しながら考えて1時間程経ったでしょうか。当然のごとく、誰も答えを出せません。そこで用事があってこの場を離れなければならない先輩がいたので、とうとう僕がその秘密を暴露しました。

「すみません、実はこの問題、答えが出ないんですよ。いくらがんばっても無理なんです」

さあ感動しろ! 数学の神秘の前に涙しろ! こんな常識破りな問題があるという事実にショックを受けるがよい! そう思いつつ、あの日の森先生のように秘密をドカンと暴露。以下、先輩たちの反応。

「なんだよ」
「騙された」
「チッ‥‥‥」
「わたし、数学が嫌いになった」

それから数日、誰も目を合わせてくれなくなった。
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2006年06月21日 Wed

ピザ屋【昔の話】

先日、あまりに日差しの強い日が続くので帽子を買いにいってきました。近くの洋服屋まで愛車の原付を時速50kmでぶっとばして行ったんですが、やはり夏に原付で風を切って走るのはなんとも気持ちがよいものです。あの素手でグリップをひねる感覚、はためくTシャツ。また今年も夏がきたんだなって実感できます。


街をひとり、目的のお店まで走っていったのですが、黄色いポロシャツを着てピザの宅配をする原付を見て、ふと去年の夏を思い出しました。何を隠そう、僕も去年の夏から秋にかけてピザ屋でアルバイトをしていたことがあるのです。


ピザ屋がポストに入れていったチラシに「アルバイト募集」という文字を見つけたのがはじまりでした。去年は大学に入学したてで原付も持っておらず、走り屋の血が騒いで仕方なかった。もうバイクに乗りたくて仕方がない。風を感じたい。ウインカーとか出したいし、すり抜けとかもしたい。そんな禁断症状が出ていたときだったので僕はすぐにそのピザ屋に電話しました。時給は750円とかいうなめ腐ったものでしたが、バイクに乗れるならなんでもいい、とにかくバイクの乗せてくれ、という気分だった。


それで履歴書を書いて自転車でそのピザ屋に面接にいったんですが、なんか言われた場所にいってみると別の名前のピザ屋があるの。うん、明らかに店名が違う。しかも、道から店内をのぞいてみると東南アジア系(たぶんインドネシア)の若い男がひとりで働いている。どうしたものかと思ってもう少し周辺を見て回ったんだけど、そこしかピザ屋はなかったので仕方なくインドネシア人のいる店に入ってみました。


「すみませーん」

「ん? ああ、面接の人か。入って入って」


ここでいいのかよ。なんで看板の名前が違うんだ。おかしいんじゃないか。っていうか、それ以上にインドネシア人が流暢に日本語しゃべったのにはびっくりした。しかもその人が店長で、そもそもふつうに日本人らしい。


それから店の調理場の奥のスラム街のごとき休憩所で日本語で面接をしたんですが、そのインドネシア風の店長が日本語でさりげなくこう言い放った。


「時給は700円からやから」


いや、750円って書いてあるじゃないか。750円ですら足下見られてると思ったのに700円て。あのとき僕は殺意すら覚えた。厨房にあるチーズとかぶちまけてやろうかと本気で考えた。大学生になってまで700円はないだろ。


でもまあ、僕の住んでいる場所はバイトできるところも少なく、またバイクに乗りたいという抑えがたい衝動もありましたのでしぶしぶそのインドネシア風の店長のもとで働き始めることに。


ピザ屋の仕事というのは基本的に調理と宅配のふたつに分けられます。すべての店員が状況に応じてどちらもやるのですが、新入りの場合はまず宅配を中心に行う。ピザに飢えた客の電話注文を受け、地図で家の場所を確認し原付で届けるわけです。


うん、やっぱり原付はいい。たとえ仕事とはいえ、青空の下を走るのは気持ちのよいものです。まるで風になったような気分だ。時給は700円だけど。


その仕事、基本的には楽な仕事なんですが、たまにイラッとくることがある。たぶん、これは宅配という仕事のみが持つ欠点でしょう。


ピンポーン

「お待たせしました〜、○○ピザです」

「はぁい、今開けま〜す」

インターホン越しに女性の声が聞こえてくる。うん、この声は明らかに麗しき女性の声。もう、声からしてかわいい。なんか、仕事できただけなのに変な妄想とかしちゃう。あらぬ期待とかしちゃう。

ガチャッ

きた。声だけかわいくて顔はアレとかいうベタなオチはなかった。もう100人に聞いたら100人ともかわいいと答えるような女性。変な妄想とかしちゃいそう。この人もおそらく僕とおなじ大学の学生だろうから、授業でたまたま顔を合わせて、「あの、どこかでお会いしたことありませんでしたか?」「え、そうでしたか?」みたいな。「付き合ってください」「はい喜んで」みたいな。


「いくらですか?」

「ヘヘ‥‥‥。あっ、1350円です」

「う〜んと‥‥‥あっ、50円玉がない」


いやいや、別に千円札2枚でもかまわないですよお嬢さん。などと思ってると、突然部屋の方をふりかえってこう言った。


「ねーマーくん!50円玉持ってない?」

「あ、あるよ。ちょっと待って」


そんで部屋の奥でテレビでも見ていたのであろうマーくんが50円持って玄関の方まで来んのよ。


「ほい」

「ありがとっ(ハート)」


ピザごと死ね


そんな地獄のような出来事が週に3回くらいありました。ほんと、カップルでピザを注文してはならないっていう法律を作ってほしい。そういう公約を掲げた党があったら他の憲法九条とか年金とか関係なく、それだけで投票するね。


そのバイト、しばらくは順調に続けていたのですが、だんだん秋も深まるに連れて寒くなってくるのですよ。夏のあいだこそスロットル全快で風を切りハングオンでギリギリのコーナリングとかして気持ちよく働いていたわけですが、10月とかなってくると夜とか寒くて死にそうになる。考えてもみてください。ふつうに外にいるだけでさえ寒い秋の夜に原付で宅配。仕事というより拷問に近い。しかも時給が700円だからな。あのインドネシア人もピザごと死ね、と言いたいところだけどその前にこっちが寒さで死にそうだ。


ある雨の日の夜のこと。僕はカッパを着ていつものように宅配に向かいました。ただでさえ寒いのに雨が降っていて余計に寒い。仕事というより拷問そのもの。バイトをはじめたときは原付に乗りたくて仕方なかったのに、今となっては1万円やると言われても乗りたくないような状態。なのに時給700円でその日も宅配。


まじで耳とか凍っちゃうんじゃないかと思いながら目的の家に到着。びしょぬれの手袋をはずし、インターホンを押します。

「はーい、ちょっと待ってくださいねー」

すぐにその家の奥さんらしき人が出てきてドアが開く。家の玄関のなかにすこし入ると、そこには暖かい家庭の空気が。一人暮らしで寂しい生活をしている僕にとって、そのありふれた家庭が天国のようにすら見える。


「お待たせしました。2500円です」

「はい。じゃあ2500円ちょうどで」

「ありがとうございました」

「ご苦労様でした」


僕に暖かい言葉をかけてピザをリビングに持って去ってゆく奥さん。リビングの方で「ピザピザー!」とはしゃぐ元気な子どもたち。ふたたび冷たい雨の降る闇夜に放り出された僕。この頬を伝わる液体は雨さ、雨に決まってる。でもなんでだろう? 心なしか、きょうの雨はすこし生暖かいよ‥‥‥。


ってことで、本格的に冬になる前にピザ屋を辞めることを決意。こんな仕事やってられっか。真冬の夜に原付で何時間も走ったらまじで死んじまう。っていうか、それでも時給700円とかありえない。


辞めたい辞めたいと思っていたら神の計らいのごとくバイトを続けられない理由ができまして、チャンスだといわんばかりにインドネア人っぽい店長にそのことを伝えました。まあ、やってられねーとか思っていたわけですけど、数ヶ月間お世話になったわけですから、多少寂しい気分もありました。そしたら、店長、こう言った。


「実はおれもこの店辞めようと思ってんだよ。もともと好きでやってる仕事じゃないし」


店長、まさかの「辞めたい」発言。


「もう社長に辞めるとは言ってあるんだけど、人手が足りないからまだしばらくはやってくれって言われててさ」


店長もどうやらしぶしぶやっていたらしい。いつもはインドネシア人みたいな顔してイタリア人のごとき手さばきで生地をこねて、円形にのばしチーズをのせてピザを焼いているというのに、人の内面はわからないものだ。


そうして冬直前に僕はそのピザ屋をやめたのでした。
もう部屋のなかのカップルを見て寂しい気分になることもない。



宅配のため原付を走らせる同い年くらいの青年をみて、そんな青春の1ページを思い出していたのですが、暖かくなったためか二人乗りでツーリングに興じるカップルがやたらに目につく。うしろの女が運転してる男にがっしりしがみついてたりする。そんなやつらが、一人で原付にまたがる僕を颯爽を抜きさっていったりする。この頬を伝わる液体は汗さ、汗に決まってる。でもなんでだろう? 心なしか、その日の汗はやけにしょっぱかった。
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2006年05月17日 Wed

VSヤクザ【昔の話】

5ヶ月前に実家に帰ったとき、ちょっとショッキングなことを母から聞きました。


僕「親戚とか知り合いで、俺以外に関西にいった人っていないの?」

母「親戚の○○くんが大阪にいるよ」

僕「へー、大阪で何してるの?」

母「ヤクザになったらしいよ


いや、シャレにならん。
サラッととんでもないこと言ったよこの母親は。

小さい頃はいっしょに遊んだりしていたのに。このごろほとんど会わなかったとはいえ、あの人が‥‥‥。うん、僕より3つくらい上で、いいお兄さんだったのですけどね。人生って分からないですね。


あと、僕が地元にいたころの友人も一人、その道へ進んでいます。たしかに、中学時代にも問題の多い生徒でしたが、ふたりでしゃべるととてもいいヤツでした。いっしょに遊んだこともあります。高校生になってからも、ときどきは顔をあわせてしゃべったりしていました。不良ではあったけど、まさか本物になってしまうとは‥‥‥。


さて、前置きがシャレにならないですが、きょうは僕がヤクザと命がけでレースをした話。



あれは僕が高校3年のときでした。当時、僕は1年間のコンビニのバイトでお金を稼ぎ、憧れのバイクを買って走り回っていました。もともと知り合いのお兄さんが所有していたバイクだったのですが、ほとんど乗らないでガレージに放置してあったので頼んで売ってもらいました。お兄さんは最初断っていたのですが、僕が粘り強く3回目に彼の家を訪問したときには疲れた顔で「‥‥‥いいよ」と言い、快く売ってくれました。

それはイタリアのバイクメーカーであるアプリリア社のRS50というバイク。原付ではありますが、市販されている50ccでは世界最速を誇る一台でした。


その日の夜も、どこへ行くというあてもなく、街をそのバイクで走っていました。気分はもう尾崎豊ですよ。盗んだバイクで走り出す、行き先も分からぬまま、自由になれた気がした、15の夜♪ そう、僕は風になっていた。学校や家にはもう帰りたくない。ファック・スクール! ファック・ホーム! おれはこいつに乗って、自由という名の目的地へ疾走するんだ。


そんなことを、1年ローンで買ったバイクにまたがりながら考えていました。あと1年、バイトからは逃げられないのに‥‥‥。そんな17の夜です。


ある交差点にさしかかったとき、信号が赤だったんですね。僕の前には車が3台止まっていました。僕はその止まっている車を左側から全部抜かして、いちばん前に行こうと思ったんですよ。すり抜けってやつです。これはバイクに乗ってる人ならだいたいやっていることで、僕もいつもしていましたから、このときもスルスルッと抜かして先頭に行けるはずだったのです。


しかし、1台目を抜かしたあと、つまり、2台目の隣まできたとき、道路の舗装が荒れてたの。よくありますよね、道路の端っこのアスファルトがはげてたりぐにゃぐにゃになってたり。で、そんなところに原付で侵入してしまったものだから、バランスを崩してしまったのです。バランスを崩した僕は、バイクごと右に傾いてしまいました。そして、不幸にも僕と車とのあいだには狭いスペースしかない。体勢を立て直すひまもなく、バイクは車の車体にゴツンッとぶつかった。ヤベッ。


でもまあ、軽くぶつかっただけだし、見たところヘコんだり傷になってるわけでもないから、謝れば許してもらえるかな、と思ったんですよ。最悪、弁償しろとか言われたとしても、たいしたことないだろうし。それで、とりあえずドライバーの人に謝ろうと思って車の方を見たんです。そしたらその車、黒塗りのベンツなのよ。すべての窓ガラスにスモークが貼ってあって、いかにもその道の人が乗ってそうなベンツ。そのベンツの窓がウィーーンと下がってゆく‥‥‥。


僕「あ、すみません。」

ドライバー「ぶつかっといてすみませんで済むかコラーッ!



ほーらね

やっぱりそういう人だった。もう、声の迫力が明らかに一般人じゃないです。はじめは素直に謝ろうと思っていた僕ですが、これは相手が悪すぎます。だって、相手は「すみませんで済むか」と言っているのに、どうしたら済むというのか。このままでは殴られるか撃たれるか分かったもんじゃない。ということで、逃げることに決定。


信号待ちしていた残りの1台の軽トラをすり抜け、先頭まできました。そしてすばやくアクセルを回し、全力で加速。さすが原付、車体が軽いだけあって、60kmくらいまではすばらしい加速力です。一方、ベンツは前に1台軽トラがいましたからなかなか追いついてこない。もしかしたら、このまま逃げ切れるかも。


しかし、そう楽観視していたのも束の間、あのベンツ、恐ろしいスピードで前の軽トラを追い越して近づいてくる。僕も80kmくらいは出ていたはずなんだけれども、ミラーに映るベンツはぐんぐん大きくなってくる。あっという間にベンツが僕の右側をかすめるように抜かしていき急ブレーキ。キーーーッという音が静かな夜の空気に響きわたり、路面から白煙が上がる。そして、僕の行く手を塞ぐようにベンツが急停車。あ、僕、死んだかも。


そのとき、自分のバイクは世界最速の原付といえども、所詮は原付だということを思い知らされました。こちらのエンジンは50ccですが、あっちは数千ccですからね、排気量が何十倍も違う。普通に張り合ったら勝てるはずがない。スピードで振り切ることは不可能です。となれば、狭い路地に入って相手をまくしかない。しかし、その辺りの細い道はよく知らなかったんですね。下手にそんな道をスピード出して通ったら事故になるかも知れないし、行き止まりになってしまうかも知れない。

あ、やっぱ死んだかも。


そのとき僕を救ってくれたのが、さっき抜かした軽トラのドライバーでした。この危険な状態を察知して、抜け道を教えてくれたのです。

「この細い道を上がって行けば、またこの道に戻って来れるから」

つまり、いったんその細い道を上がってあのベンツをまいて、また戻ってくればいい、というわけです。そうして、軽トラが先導してくれたので、僕はその後についていきました。ベンツの方は、大きな車体ゆえか、方向転換するのに手間取ったようでなかなか追いついてきません。そうして少し行ったところで一度止まり、さっきの道に戻れる別の道を教えてもらいました。僕がドライバーのお兄さんにお礼を言っていると、後ろから照らされた。うん、ヤツがすぐそこまで来てる。


教えてもらった道を必死で逃げる僕。
それでもしつこく追ってくるベンツ。

その教えてもらった道っていうのがまた狭くて曲がりくねった道で、夜だから怖いのですよ。はじめて走る道だから先がどうなっているか全然分からないし。しかし、スピードを緩めたら追いつかれる。うん、前にも後ろにも、待つのは死のみ


そんな極限状態で走っていたらまたさっきの道へ戻って来てしまいました。多少引き離したとはいえ、ベンツはまだヘッドライトが見える距離にいる。これ、あんまり意味なかったんじゃないか? 
このままさっきの道を走ったとしてもまた追いつかれるのは目に見えていますから、もうここは賭けに出るしかない。いま走って来たのとは別の細い道に入ってゆきました。もうミラーを見る余裕なんてない。無我夢中で逃走する僕。学校や家には帰りたくないって言ったけど、前言撤回。無事に家に帰りたい


しかし30秒も走らないうちに、目の前に鉄格子が出現。たぶん工場か何かの入り口でした。やっちゃったのよ。見事に行き止まり。グレエ、若干17歳にして死亡か?


なす術もなくその鉄格子の前で呆然としていたのですが、なぜだかあのベンツが来ない。知らない間に差をつけてたのかな、と思ったけれども、気配すら感じない。もし追って来ているなら、ここは一本道で行き止まりですから、すぐに追いつかれるはずなんですが、1分ほど待ってもこないの。どうやら、僕が二度目に細い路地に入った時点で諦めたようでした。ふははっ、ヤクザに勝った!


その日からしばらく、その夜に乗っていた原付に乗るのはやめてボロいスクーターを使っていたこと、そして、逃走劇が行われた道を避けていたことは言うまでもありません。



まあ、あのときは僕にも非があった‥‥‥というか、もともと悪かったのは僕なわけで、あのベンツのドライバーを一方的に悪人ということはできないかも知れません。自分の不注意でぶつけてしまったことに関しては悪かったと思っています。もしかしたら、素直に謝っていたら、許してくれたかもしれません。ヤクザではあっても、親戚のお兄さんや地元の友人のように、実はやさしい心を持った人もいますから。ところで、この前ゴールデンウィークに実家に帰ったとき、母からこんな話を聞きました。


「○○くん(地元の友人)、このまえ車で事故起こして、自分の一時不停止が原因だったのに相手の運転手を殴ったんだって。それで警察に連れていかれたらしいよ」






やっぱり逃げてよかった。
posted by グレエ at 19:59 | Comment(4) | TrackBack(0) | edit


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2006年04月15日 Sat

黒の夢【昔の話】

俺ん家の歴史さん
我流で頑張ろうぜ!の我流おkさん

このおふたりは高校生です。なんと僕より5つほども若い。そして雨のち晴れの光さんにいたっては中学生というから驚きです。中学生ですよ中学生。たぶんお昼には給食たべてるんですよ。家庭訪問で学校の先生が家に来たりしてるんですよ。


いまでこそ彼らの若さにびっくらこいている僕ですが、僕も若かりし頃、実はホームページをつくったことがありました。あれは15歳、ニキビに悩まされていた高校1年のときでした。


親に無理をいって買ってもらったiMacでトンテンカントンテンカンと自分のページをつくったのですよ。当時、僕はクロノトリガーというRPGが好きだったので、そのゲームに出てくるダンジョンから名前をいただいて、サイト名を「黒の夢」と名付けました。サイトの内容とか関係なく、ただクロノトリガーが好きだったから「黒の夢」。この時点でちょっとイタい‥‥‥



背景は黒で文字は白、まあ雰囲気としては「俺ん家」や「雨のち晴れ」のような感じに仕上がりました。で、肝心の内容はというと、開設後しばらくは日記のみ。ゲームもレビューもありません。ではその日記がそんなにおもしろかったのかというと、いま思い出してみても、クソみたいな内容。上記の3サイトには遠く及ばないようなだめだめだめサイトでした。イタい‥‥‥。


しかし日記だけだとそっけないので、しばらく経ってから掲示板を設置しました。無料で使えるものがありましたからね。

「よっしゃ、これで読者と交流できる」

と思っていたのですが、文字化けしててまったく読めず。さらに、僕はアホだったので、正しく表示させることもできず。それに、なぜか待てど暮らせど、書き込みが一件もない。あいたたたたた‥‥‥。



んで、次にカウンターをつけました。どれくらい人が来ているのかを知りたくてね。あわよくばキリ番集なんかつくっちゃおうかなんて思って。でもね、カウンターをつけたせいで、自分しか訪問者がいないことが発覚

「掲示板に書き込みがないのは、訪問者がいなかったからだ!」

というコナンもびっくりのすばらしい推理で、謎はすべて解けました。


訪問者はいませんが、自分は毎日何回もページを表示するから、カウンターはばんばん回る。もう、くるくるくるくる回転してゆきます。悲しいくらいカウンターの数字が増えてゆく。そして、キリ番はすべて自分がゲットするわけです。






50 自分
100 自分
111 自分
150 自分
200 自分
222 自分
250 自分
(以下略)








どんだけイタい人だよおれ‥‥‥









結局、そのページは開設後数ヶ月で放ったらかしに‥‥‥。おそらく僕以外の人間の目には一度も触れなかったでしょう。まさに「夢」のようなサイトでした。
posted by グレエ at 21:39 | Comment(4) | TrackBack(0) | edit


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2006年02月27日 Mon

あれから一年【昔の話】

あれから一年、また受験の季節がやってまいりましたね。


たしか去年も25日が国立の受験でした。


関東から新幹線で京都まできて、ひとりで宿にとまり本番の日の朝を迎えたわけです。
生まれてはじめて必死で勉強した一年をふりかえりつつ、
「ぜったい合格してやる!」
と思い、タクシーで試験場へ向かいました。




「○○大学の○○キャンパスまでお願いします」
「はい」



いよいよこれから一年間の努力が報われるか否かの試験。
不安はあるけれど、もうここまできたらやれるだけのことをやるだけ。

ほどよい緊張をかんじつつ、タクシーの窓からあこがれの京都の景色を眺めていました。



「お客さん、きょうは受験ですか?」
「ええ」
「いやあ、懐かしいですね。わたしも受験のときのことを思い出しますよ」



しばし運転手のおじさんと会話。
ひとと話すことで不安な気持ちもすこし安らいできました。

しかし!

なんとそのおっさん、とんでもないことを言いやがりました。








「わたしもむかし○○大学を受験したんですけどねぇ、落ちたんですよ。ハハハ」









ちょっと待て。





ってことはなにかい? 




おれはいま、○○大学に落ちたやつの運転で○○大学の受験に向かっていると?





‥‥‥‥‥縁起悪すぎ

なんでよりによって不合格だったやつの運転するタクシーで受験にむかわにゃならんのじゃ!


っていうかさ、おじさん。
ほんとうだったとしてもさ、
それ言うなよ!
心のなかに秘めておけよ!



あれから一年。





いまグレエはあのタクシーのおじさんとおなじ大学で学んでおります!
posted by グレエ at 22:14 | Comment(2) | TrackBack(0) | edit


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